Lucy Rose "Whatever You Want”

 今日はかなり落ち込んでいた。日中の荒れた天気が、自分の心の中みたいだった。何で他の人のように生きられないんだろう。どうしてみんなそんなに強いの。

 泣きそうなのを我慢しながら、車の中で音楽をかけた。ゆったり優しい、でも少し悲し気な雰囲気の曲。気持ちが少し落ちつくのが分かった。

 

" How can something like this happen to me
  A miracle, a disaster, all in one fell swoop
  Cause nothing comes from nothing
  Somebody turn the lights out
 
 
  They said you can be whatever you want
  They said you can be whatever you want
  They said you can be whatever you want
  But so what "
 

 苦しみの中で幸せを探す歌だった。苦しみの中に居る人の幸せを願う曲だった。

 みんなそれぞれに何かに苦しんでいる。何を言われても悲しい日は悲しい。そんな日が誰にでもあるよね。

 


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 1stアルバムからずっと好きなアーティスト。Lucyの声に、音楽に、何度も癒されて来た。また彼女の新しい音楽が聴けて嬉しく思う。

 

小さなテーブル

 日曜日。小さな食卓が届いた。食事なら2人、お茶なら4人でできそうな大きさだ。正方形で角が丸いところが気に入っている。

 

 長らくテーブルなしで暮らしていた。あるとき急に思い立ち、古い机を手放したのだ。新しいものを探しているうちに容赦なく月日が流れた。呆れるほど決めるのに時間がかかった。こだわりの強さか、決断力のなさか、慎重さゆえか。物との出会いもご縁だから、タイミングもあるかもしれない。

 

 こんな風に書くと、よほどおしゃれな机を想像するかもしれないが、あちこちのネットショップで売られてる、普通のお手頃価格のテーブルだ(ありがとう、楽天市場)ピラミッドなら底辺に属する庶民なので、限られた予算の中でベストを尽くした。時間はかかったけど、いい買い物ができたと思う。

 

 テーブル一つで景色が違う。居間に入ると小さな机が目が入り、何となくうれしくなる。テーブルクロスをかけてみようか。今までそんなこと、一度も考えたことなかったのに。

 

 色は白がいいな。

 

 今後の楽しみが一つ増えた。

 

料理

 料理が好きかと聞かれたら、一言で答えられない。おいしく出来た時はうれしい。心も体も満足する。でも、大したものは作れない上、苦手意識がとても強い。しかし、もし誰かに「代わりに美味しいご飯を作るから、もう二度と料理しなくていいよ」と言われたら…それはそれで寂しいと思う。料理への思いはちょっぴり複雑だ。

 

 結婚生活で辛かったことの一つは、毎日の料理だった。"ちゃんとしたものを作らないと"というプレッシャーが強く、義務として作る料理は本当に苦行でしかなかった。たった2人分のご飯でひーひーなってた。家族のために料理を作るみなさん、今日もお疲れ様です!と心の底から思う。

 

 そもそも料理への苦手意識が大きい。これは育った環境に由来すると思う。母の料理が気に入らなければ怒ったり文句をつけていた父親。「いつも似たような料理ばっかり。もっと工夫しろ!」と言ったかと思えば、いつもと違うカレーが出てきたら「余計なアレンジをするな!」と怒ったり。理不尽の極みみたいなじじいである(口が悪くて失礼)料理を一切しない人のこういう傲慢さって、本当にやーね。来世は大昔のスパルタみたいなご飯がまずい地域と時代に生まれてしまえ...と心の中で父を呪ってしまう。

 

 美味しいものを作れないと罰せられる。そんな刷り込みがあるのかもしれない。「女はおいしい料理が作れて当然だ」という態度を見ていたせいか、料理が上手に出来ないことがとてもコンプレックスだ。料理を持ち寄って集まる会など、恐ろしくて参加できない。作った料理を人に食べてもらうことは、未だにとても怖いことである。

 

 でも不思議なことに「私は料理しない」とはならない。寧ろ食を大切にし、おいしいごはんを作る人たちへの憧れがずっとある。書店でレシピ本を見るのが好きだし、SNSで料理アカウントを見るのも楽しい。おいしいものを食べると元気になるし、料理で人を満たしてあげられるのは素敵なことだなぁ、と思う。

 

 ややこしいし、ひねくれてるけど、昔より料理が好きになってる気がする。

 

 そんな訳で、今日も無理のない範囲でご飯を作る。一人だから適当でいいし。苦行にならないように、最近は一品でも作れたらよしとしている。

 

 

写真は今日の晩ご飯。ミニしらす丼と豚汁とキムチ。丼はSNSで見かけた写真を参考にした。刻み海苔がなくて、適当に千切った(雑)麹醤油を切らしていたので、お醤油をたらり。わさびを添えて。

 

 みんなはどんなご飯食べたんだろう。 

 

ハーフタイムショー

 遅ればせながらsuper bowlのハーフタイムショーを観た。今年はUsher。アッシャーは有名な曲は聴いたことがあるけど、しっかりは聴いたことがない。こんなに軽やかに踊る人だったとは知らなかった。声もクリーンでとても滑らかで、安定感が素晴らしくて安心して観ていられた。個人的にはH.E.Rのギターソロの場面でキャーってなったね。

 

 スーパースターたちって、本当に余裕がある。何てことない顔で凄いことをさらりとやっているように見える。それでいて、人を惹きつける華やかさと貫禄がある。持ち前のスター性に加え、実際めちゃくちゃ努力してるだろうし、経験や熟練の賜物なんだろうけど。

 

 スポーツ観戦に興味ないのに、ハーフタイムショーはアメフト好きの元夫の影響で観るようになった。個人的には2020年のJ.Lo&シャキーラの回が大好き。何回見ただろう。あのライヴはものすごく元気が出る。凄すぎて笑っちゃったもん(特にJ.Lo)パフォーマンスも、衣装も演出も。最高のエンターテイナー。2022年のもとても好きだな。

 

 毎年思うけど、10分ちょっとのライブなのに観た後の充実感がすごい。今年も楽しいショーだった。ゲームの方はずっとルールが分からないままだけどね。

 

怒りの底にある本音

 精神的ストレスがものすごい。ここしばらくイライラしている。今日は糸がぶつっと切れて、心の火山が大爆発した。

 

 今一番のストレスは職場である。困るから止めてくれと、事情も理由も説明して、繰り返し注意するが「あー、ごめんごめん」と軽々しく言われて終わる。何百回言っただろう。気が狂いそうである。注意した一つ一つは大した事ではないかもしれない。でも、毎日ストレスが降り積もれば、どんどん大きな山になっていく。

 

 基本的に他人は変えられない。注意してもその人は困らないし、何も変わらない。困るのは私だけ。この、一方的にストレスを受け続ける構図の中に居るのが、もうたまらない。そんな訳で、ストレスが溜まる一方だ。

 

 怒ってばかりだ…と自分を未熟に感じる。けど、怒る理由を性格だけに帰結するのは危険だし、何の解決にもならない。心の持ち方も大事だけど、怒りは何かが上手く行っていないサイン。自分は性格が悪い!と責める前に、点検しないといけないのだ。環境や仕組みなどを。

 

 子供の頃、母が父にいつも怒られていてよく不憫に思った。だが、大人になると色んなものが見えて来た。無神経な母が、父が嫌がることを何度も繰り返していたりする。「そりゃ、怒られるわ」と。そして悪気がないから治す気もないし、治らない。父が理不尽に八つ当たりしていることも多いので、ケースバイケースだが。

 

 客観的には怒られてる方がかわいそう…となりがちだが、外側からの印象だけで内実は判断出来ない。いつも怒る人も、いつも怒られる人も、それぞれに何か解決できてない問題を抱えているのだと思う。

 

 怒りん坊な私も、同じ問題をずっと抱えたまま。

 

 職場でのストレスに加え、私生活での「もっと自分らしく生きたい!」というフラストレーション。嫌なことばかりして、自分を満たしていないのだ。叶えられることは叶えて行こうと思った。

 

 中には「もう中年なんだけど…」と、自分で怯んでしまうような願い事もあったりするが、魂の願いに年齢は関係ないらしい。年齢や人目に負けずに、やるしかないのだ。怖いけど。人に優しくなるためにも。

 

自家製の物語

 昨日からゆっくりと日常に復帰した。

 

 喉はまだ万全ではないけど、もう大丈夫。太陽の光は一皮むけたかのように明るく、風邪をひく前よりも気持ちよくお腹が減る。体が何か一新された気分だ。まるでPCの(更新が完了しました)みたいに。

 

 回復してすっかりご機嫌かというと、そうでもない。心のデトックスも進行中らしい。忘れていた。春は別れの季節。そして排毒の季節。この際だから色々と手放して、心の方もきれいさっぱり身軽になりたい。

 

 今って、潮目が変わる時なのだろうか。多くの人が変化を迎えている気がする。環境の変化の場合もあれば、内面的な変化もあるだろう。私は後者だ。昨年の晩秋あたりから、徐々に移り変わっている。何故なのかは分からないが、今までと違う所に心を置く必要を感じている。

 

昨年の暮れごろ、フォローしていたアカウントが急に消えてしまった。Xもnoteも。その一般の人の言葉が大好きで、とても影響を受けた。でも今後、その言葉に触れることは出来ない。仕方ないと頭で分かっているが、自分でも意外なほど落ち込んだ。

 

 今年に入り、購読しているブログに、無期限の更新休止をほのめかすような記事が投稿された。その方の綴る言葉も素敵だと思っていたので、仕方ないとはいえ、やはり寂しかった。

 

 多くの人が切り替わりの時期であることを、ひしひしと感じた。

 

 大好きな言葉が続々と、目の前から消えたり、遠ざかっていく。何となく、自分の世界を生きるよう促されている気がした。

 

 人の世界に没入しすぎたのかもしれない。ずっと飽きずに水槽の魚に見とれる子供のように。そこから引き離されるということは、自分の言葉で自前の物語を作ること、そこに今まで以上に力を入れる時が来た、ということかもしれない。

 

 寒仕込みの手前味噌物語。ゆっくり発酵。お塩は天日塩で。

 

花の写真

 久しぶりの風邪は思いの外しんどかった。悪寒・発熱・体の痛み・喉の痛み・痰・鼻水…と、おなじみの症状ばかりだったが、今回は喉の痛みに苦しんだ。

 3日目までは経過がよかったが、全体的に症状が落ち着いてきた4日目ごろから、喉の痛みだけ酷くなった。ただでさえ嚥下が辛かったのに、一々意を決してからでないと飲み込めない。喉が焼け野原のように痛むのだ。大げさかもしれないが、とにかく喉が痛くて、ピークの夜はろくに眠れなかった。「助けて神様…」とカスカスの声で何度か呟いた。だが、咳をしても一人。

 寒気を感じた日から今日で5日目。もっと早く治ると思ってたのに、微熱と喉の痛みがまだ治まらない。

 ” 長引く風邪は君のせいだ 指名手配 ”

 とある歌を思い出し、枯れた声で口ずさんだ。そのフレーズだけやたらと耳に残っている。懐かしくて久々に聴いてみたら、ちょっと切ない恋の歌だった。

 立春を過ぎたせいか、気のせいなのか、窓から入る光が明るく感じる。季節は次の段階へ着々と準備を進めているし、きっと私の体もそうだろう。もう少し辛抱してゆっくり待つしかない。

 ティッシュの箱の花柄を見て、スマホの待ち受けをチューリップの写真に変更した。

 早く外に出て、春の光を浴びたいな。