捨てられないクリップと感受性

 書類をもらう時にいつも付いてくる銀色のクリップ。これが小さなストレスだった。貰うことはあっても使うことはほぼ無い。どんどんたまる一方だった。

 

 今日もお馴染みの会社の人が書類を持ってきたので、思い切ってクリップについて相談してみた。すると一言。

 

「捨てていいですよ」

 

…えっ?

 

びっくりした。私にはクリップを使い捨てる感覚がなかった。人それぞれ感覚が違うからそんなものなのかもしれないけど、自分の感覚が他人と大幅に違うのをハッキリ自覚した出来事だった。

 

 他人が当たり前に捨てるような小さなものに、自分はエネルギーを奪われている。そのことに気づいて少し動揺した。普段から細かいことでストレスを溜めることはよくあり、私は人より神経質なんだろう位の認識だった。それにしても異様に疲れる。それが何故なのか分かったような気がした。

 

 きっと感受性が強すぎる。感受性が強すぎるというのは、消耗するのが早いということだ。1の強さの刺激を10くらいに感じてしまう、ということ。他の人なら気づかないことが刺激になってしまうということ。私と誰かがまったく同じ一日を送ったとして、使われるHPの量はきっと何倍も違う。皮膚が薄いと言える。

 

 「小さいことを気にするな」と言われても、気の持ちようでどうにかなるものじゃなかったし、逆になぜみんな気にならないのか不思議だったけど分かった。私には小さなことではなかった。自分だけ世界の音のボリュームが異常に大きく聞こえる状態なんだと思う。たった一つのクリップが、私の世界にずしりと影響を与える。

 

 この感受性の強さは生まれ持ったものもあるけど、身体的な問題で神経が過敏になっている部分もあるから、ケアをしていくことで今より安定させることも可能みたい。それはちょっと救いではある。この話はまた別の機会に。

 

 感覚や感受性の違いに愕然とした今日。同じ世界に居るのに、見えてるものは全然違うんだね。極端にバランスの悪い自分の性質を悲しく思うけど、自分だからこそ感じとれるものもあるのだ、といいように捉えておこう。