意味がなくても

 「何で愛されてたあの人が亡くなって、私が生きているんだろう?」そんな誰にも優しくないことを思ってしまったことが、これまでに何度かある。死を悼む気持ちや自分への無価値観や人生の不思議や不条理さ。色んな感情が入り混じった気持ちだった。

 

 人生に意味はあるのか。それは誰にも分からないこと。自分で意味を見出すものだと言う人もいれば、意味はないから好きに生きようと言う人もいる。正解は決まっていない。私はというと、人生自体に意味はないかもと思う。でも、さっき書いたような不条理さに直面すると少し考えてしまったりする。

 

 なぜか私はここに居てあの人はもう居ない。じゃあ仮に私がまだ生きていることに意味があるとしたら?それなら、やるべきことは一つだけ。自分を生ききること。私という人間は他にどこにも存在しないから。それが成し遂げられるためにたった一人の自分が居るんじゃないのだろうか?私も、あなたも。

 

 今色んなことを教わっている先生が、生徒たちによく言う言葉がある。「自分に自信を持ってください」「自分の感性を大事にしてください」珍しい言葉じゃないしピンと来ない人も多いかもしれない。私も最初は頭でしか分からなかった。けど、最近本当に一人一人の感性の大切さを実感するようになった。全員だよ、みんな全員。

 

 有名か無名かは関係ない。影響力とかフォロワー数も関係ない。どれだけ心に深く影響を与えたかは数字や見えるもので測れない。例えば数字がどうだろうと私の好きな音楽が与えてくれた感動は確かで揺るがない。作り手が自分の感性を大事にしてくれた。お陰で私は素敵なものを受け取れた。届く届かないは結果論だけど。その人がその人で居てくれて本当にありがとうと思う。

 

 感性って言うと大げさかな。単純に自己否定したり抑圧しなければいい。変に曲げたり足したりしなければ自然と表れるもの。そんな風に思っている。無理に何かを創作したりしなくていい。自分の好きにしたらいい。そんな感じ。

 

 そんな訳で最近、無意味な自己否定を止めようと努めている。他人には言わない失礼な言葉を、自分には平気でぶつけてると気づいたから。否定的な考えが浮かんだら謝ったり、寝る前に自分に優しい声をかけてみたり。絶対誰にも見られたくない現場だけど。

 

 ゴールデンウィークの始まりに何書いてんだろうね。でも最近はこんなことをぼんやり考えてた。せっかくだから書いてみた。みんなの感性が無事に世界に表現されることを心から願っています。