( )つけんな

 住む場所も食べ物もあるのに元気が出ない。どうしてだろう。年のせいか?いや元気いっぱいの先輩、沢山いるし。何でこうなったのか本当は分かっている。自分を抑えてしまうから。

 

 人間は心の中にあるものを発揮したいという欲求があると思う。植物が自然と芽を出し、根を張り、葉を茂らせるイメージ。それぞれの植物に咲かせたい花や広げたい葉がある。それはもう内側に既に持ってる。その種から生まれたんだから。適切な環境に身を置き、自然と湧いてくる内側の欲求を妨げないようにすれば、この焦点の合わない死んだような目にも光が戻ってくるかもしれない。

 

 「なら、ごちゃごちゃ言わずに好きにしたら」と言われたらその通りなんだけど、正直好きにするって一筋縄でいかない。多くの人が死に際に後悔するのは、素直にやりたいことをやるのが難しいからだろう。

 

 自然な欲求を一番邪魔しているのは、自意識だと思う。変な例えになるけど、ラインで「お久しブリーフ」と書きたいと思ったとする。おちゃらけた自分が顔を出そうとしているが、自意識が待ったをかける。(…普段こんなこと言わないのに、相手に引かれるかな?)といった具合に。

 

 社会的なTPOやマナーは最低限気を配る必要があるけど、私生活は自由でいいのに。お葬式でとても目上の人に「お久しブリーフ」と言ったら色々問題がありそうだけど、友人へのハガキに書いたって別にいいのに。

 

 他にも「〇〇を習いたい(けど、習ってるのは若い子ばかりだし…)」「〇〇を着たい(けど、そういうキャラでもないし)」など、自意識の言うことを聞いて、「欲なんて何もないです」みたいな涼しい顔をして格好つける。本当は喉から手が出るほど渇望しているのに。

 

 若い子ばかりで恥ずかしいなら大人向けの教室を探したり個人レッスンを受けたらいい。着てる姿を見られたくないのなら、家の中で楽しめばいい。なのに、最初から全て諦めてしまいがちだ。(でも…)は、やらないための言い訳なのだ。つまりは守り。躍動しようとする心を押さえつけてしまうのは、不安や恐れがそうさせる。傷ついたり恥をかかずに済むから。安全な場所から出たくないのだ。

 

 こうやって自分で少しずつ心を殺してきた訳だけど、でも、この( )は怯える自分をずっと守ってくれていたものでもある。一生懸命、周りを沢山枠で囲ってガードしてくれた。でも、もうその( )要らないかも。もうカッコつけなくていいはず。というか私はずっとカッコのつけ方、間違ってたのかもしれん。

 

 殻を破るのは本当に怖い。( )の外に出て、今までと違うことを選択するのだから。そう簡単には出来ない。今後も今日みたいなことを何度も書いたり、やるやる詐欺になってしまうかもしれないけど、少しずつカッコつけるの止めて行きたい。失敗してもいいし、すぐに飽きてもいい。理解されなくてもいい。大丈夫。もう十分浮いてるから。何を今更。…という心持ちで、みんな頑張ろう。しれっと周りを巻き込むスタイル。

 

 でも本当にみんながみんな素直に生きたら、どんな景色になるだろうな、って思う。

 

 殻を破るで何となくカリメロを思い出したけど、若い人は知らんよね?私もリアルタイムの世代じゃないけど。歌を聞いてみたらとてつもなく素直な歌詞。( )つけまくりな自分は見習いたいマインド。「はしるのだいすき はしっちゃお」幸せってシンプル。

  
www.youtube.com