言わない

 仰向けになって目を瞑る。口を開けると、手袋から嗅いだことのあるゴムの匂いがした。歯を削ったり磨いたりする振動が伝わってくる。痛みはないけど無意識に緊張するのか、楽にしているつもりが自然と体に力が入ってしまう。お腹の上で手を重ね、自分を落ち着かせようとする。ギュィイーーーン… キーーーン… ゴゴゴゴゴ… けたたましい機械の騒音を聞く度に、まるで工事中の道路になったみたいと思う。

 

 今通っている歯医者さんを信頼している。先生も歯科衛生士さんも親切だ。変に愛想よくしたりせず、でも気になる事は何でも話せる気さくな雰囲気もある。けど慣れ慣れしくはない。治療もしっかりしている。

 

 多分だけど、先生は私と同級生だ。確認はしてない。

 

 そんなことは何も知らずに通い始めた。初めて診察してもらった日、先生の名前を見てあれ?と思った。帰宅してどうも気になり、恐る恐る高校時代の卒業アルバムを開いた。同姓同名の青年が写っていた。おそらく先生だ。

 

 少し気まずいような恥ずかしいような気持ちがした。でもクラスが違ったし全く面識がない。私にとってよき歯医者さんでしかない。きっと先生も私のことは知らないはずだ。そう思い直して、そっとアルバムを閉じた。何で名前に聞き覚えがあったんだろう。共通の友達がいたのかな。その辺は謎だが、あまり深い追いはすまい。

 

 社交的な人なら「先生、同級生ですよね?」って話したりできるのかもしれない。でも私はこの心地よい距離を保つべく、黙って通い続けるつもりだ。別に明らかになってもいいけど、あえて今すぐ言う必要もない。知らないままでいいこともある。知らなかったからこの歯医者さんに来ることが出来たし。