シースルー

 昨日ブログを書いたあと気づいた。これまでずっと、口にした言葉も心の声も両方「」で括って書いていたかも。どちらも声に出したように読めてしまう。

 

 でも、心の声も口に出してるようなものだよな。会話の中で非言語のメッセージもお互いに伝え合っていると思う。行間から薄っすらと透けて見える心の声。

 

 声高に何度も言っても伝わらないのに、隠してる下心なんかは相手に伝わったりするもの。言葉って何だろう。意味があるような、無いような。

 

 でも読み手に誤解を与えそうだから、「」の使い方を考えてみようかな。

 

 

 今朝家を出ると、玄関の外にセミの抜け殻が落ちていた。

 

 脱皮、成長、殻を破る、古いものを脱ぎ捨てる・・・連想ゲームみたいに言葉が浮かんだ。合わなくなったものを手放すイメージが湧いた。

 

 こんな風に何かを見て自然とインスピレーションが湧くとき、メッセージとして受け取る。自分で考えて意味づけするのではなく、ふわりと言葉が脳裏をかすめる感覚。言葉に意味があるのかないのか、やっぱり分からないけど、浮かんだ言葉の印象を受け取るようにしている。

 

 虫は大の苦手だが、恐る恐る抜け殻を手に取った。背中にまっすぐ入った細い亀裂。こんなに綺麗に殻を残して脱皮できるんだ、と少し感動した。(追記:羽化と言うらしい)

 

 この抜け殻も薄っすら透けてる。中身は今どうなってるんだろう。