馬鹿にしてくる人 ・「好き」に誠実であること

 暫くの間ずっとモヤモヤしていた。ある人と会話をすると「心のどこかで私のこと馬鹿にしてるんだな」と感じることが多かったのだ。気にしないよう努めたが、一人の時もふと思い出して胸が苦しくなった。

 

 被害妄想かな?と色んなことを振り返ったが、自分の中の真実が変わることは無かった。ぐるぐると考える日々が続いたが、単純に一緒にいて辛いなら離れた方がいい。もう少ししたらその人の元を去ることにした。

 

(ちなみにとある心理学の動画を観てモヤモヤが晴れた。馬鹿にされても傷つく必要ない分かったから。彼も何かに苦しんでいるんだな、と。)

 

 過去にも同じような事があった。長く続いていた友情(と思っていたもの)が幾つか終わった。相手のマウンティングや見下すような言動に傷つき、彼女たちと付き合うのを一切止めた。友達なら悲しかったことを伝えたり、怒って喧嘩でもすればよかったのかもしれない。でも明らかに失望したので、何も言わずにそっとフェイドアウトするように、こちらからは一切連絡を取らなくなった。

 

 関係性は二人で作るもの。上手く行っていても、一方が相手を見下すようになったらお終いだ。お互いが思う気持ちが釣り合っていないと、いい関係は作れないし続かない。社会的立場とか年齢とか性別とか価値観とか境遇とか…色んな差異があったとしても、相手を一人の人として尊重し慕うような気持ちがある限り対話は出来ると信じているし、そこが関係性の土台だ思っている。

 

 一緒に作るものだから、きっと私にも何かしらの非がある。実際過去に人を大切に出来てなかったり、ものすごく酷いことをしてしまったことは苦い思い出だ。未だに未熟だし失敗ばかりだが…。

 

 友達だった人たち。私は本当にその人たちが好きで付き合っていただろうか。心から望んで会っていただろうか。正直、YESだけどNOだった。仲良しだったころはYESで、友情が腐りつつあった頃はきっとNOだった。相手は自分の鏡と言うけど無意識って繋がっているのかな。相手も私の無意識を肌で感じ取っていたのかもしれない。

 

 いくつもの人間関係を失って学んだのは、自分本位であることの大切さ。(自分勝手ではない)ずっと他人の顔色ばかり窺ってたけど、いい関係は自分の正直な心からの「好き」から始まるもの。主体的な想いから芽吹くもの。まだまだ学びの途中だけど、今はそんな風に考えてる。

 

 愛してないものから離れることも、優しさや愛の一つの形かなと思う今日この頃。

 

 ご縁も入れ替わり立ち代わり変化していく。儚いけどそれが自然なんだよね。奇跡だな、友情が続いてるって。自分も相手も心も変わるもんね。執着せずに、無理せずに、正直に。「好き」を大切に出来るようになりたい。

 

 最近の気分。

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