彷徨える羊たち

インターホンが鳴った。

 

「待ってたのが来たー!」と思いきや、某宗教団体の人らでズッコケそうになった。

やっと区費を領収できると思ったのに…。(昨日のブログ参照)

 

「今戦争があったり不安を感じることが多いですけど、

あなたも何か不安になることはありますか?」

 

「まあ、ありますけど。ご用件は何ですか?」

 

「不安を和らげるお手伝いが出来るんじゃないかと思いまして。」

 

適当に断ったら「では一つだけ。」と

ありがたいお言葉を述べて静かにお帰りになられた。

 

不安はありますか、だって。

善人らしい顔をして、人の弱さに漬け込もうとするやり方は好きじゃない。

 

私は宗教のこと分かっちゃいないけど

信仰心や祈る気持ちそのものは尊いものだと思っている。

 

無心で祈る姿は美しいと思うし

より良い人間になろうと努めることは素晴らしいし

宗教の教えは辛い時を乗り越える心の支えになったりすると思う。

 

昔の勤務先に、彼らと同じ宗教を信仰する方がいたけど

別に至って普通だし、勧誘なんてしてこなかった。

純粋に教えを大切にしている感じがした。

 

そういう人のことを思うと尚更

その純粋な信仰心が汚されるようで嫌な気持ちになる。

 

”神様とその人との間のこと。”

いつか誰かに聞いた言葉を思い出す。

 

これは信仰に限った話じゃないけど

他人の心の問題を代わりに解決することは出来ないし

自分の道を自分で歩くしか出来ない。協力しあうことは出来るけど。

 

やたら人を助けたがる人は、自分の人生を生きていない。

他人を助けることを自分の存在意義にしてしまってる。そんな風に見える。

あなたが楽しく生きてる方が周りの人を幸せにするんじゃないのかな。

 

不安を埋めてほしい人を探して訪ね歩く姿を見ると、何か切ない。

勧誘の彼ら自身の方が彷徨える羊たちに見えてしまった。

…と、偉そうに書いている私も、ずっと迷子になりながらウロウロと歩いているのだが。

 

でも彷徨うことさえ、それぞれの孤独で神聖な道の上の途中なのかもしれない。