湯飲みのおじさん

昨晩つまったトイレは朝になっても直っていなかった。

 

今まで時間が解決してくれたのに。これは困った。

どうにかすべく、重曹お酢を入れる方法を試すも効果なし。

 

仕事を終えた後、詰まったトイレをズコズコするやつ

(ラバーカップというらしい)を借りて帰宅した。

 

車から降りると、知らないおじさんと目が合った。

何でこういう見られたくない物を持ってる時に限って、人が通るのだろう。

 

ズコズコするやつを後ろ手に持ち、

「こんにちは」と軽く挨拶し、そそくさと玄関に向かおうとしたら

おじさんが喋った。

 

「あんたお茶飲む?」

 

(・・・は?)

 

聞き返すと、ご飯食べる時にお茶飲んだりする?と尋ねてくる。

「いや、あんまり飲まないですね…。」

急に何なのか。大体誰なのか。意図が分からず混乱していると

湯飲みをあげるわ、と言い出した。

 

(・・・えっ?)

 

何だこのおっさん。やんわり断るもお構いなしで

湯飲みのデザインのことや長年陶芸やってることを伝えてくる。

湯飲みを持ってくるわと言いだしたので

「いや、要りません!」と語気強めに断って家に入った。

 

怖ええぇ。怖すぎる。

知らない人に何でいきなり手作りの湯飲みあげようとしてんの?

しかも何回も要らんて言ってますけど?

 

怖すぎてお隣のAさんを訪ねて経緯を聞いてもらった。

もしかしてあのおじさん、認知でも入ってるのだろうか。そんな心配もあった。

 

生粋の地元民であるAさんと話して分かったのだが

どうやら湯飲みのおじさんは、この地域に昔から住んでいる方らしい。

 

「湯飲みって聞いて誰かすぐわかった。」

Aさんはおじさんに湯飲みを2回もらったらしい。

おじさん謹製の湯飲みを見せてくれたが、お世辞にもセンスがいいとは言えなかった。

受け取ってあげるAさんは優しい。

 

湯飲みのおじさんは奥さんを30代で亡くしているらしい。

お子さんがいるが、今は一人暮らしなんだとか。

からしたら不審者でしかないおじさんにも

色々大変なことがあったんだなと、同じ人間として労いたいような気持になった。

 

勝手な想像だけど、おじさんは人と関わりたくて仕方なくて

あんな風になったんじゃないか。

やたら病院に行くおじいちゃんおばあちゃんとか、いるじゃない。

昔は銭湯があったから、一人暮らしの人も

毎日誰かと会って顔を合わせて、少しでも人と関われた。

そういう場所は今少ないし、家族も少ない。

 

自分で居場所を作らないといけない時代。

家庭と職場以外でも人の繋がりを作ること。その大切さをひしひしと感じた。

 

私は独身で、友人知人もあまりいない。生きがいもない。

孤独に慣れてるから別に一人でいいやって思っているけど

本当はどこか寂しい。心もとない。

 

人間は本質的に人との関りがないと生きていけないことを

湯飲みのおじさんが体現しているような気がした。

 

何も知らないおじさんの事あーだこーだ言って悪いけど。

今日は人間の抱える寂しさや悲しい性を感じてしまった。

このままだと自分もおじさんみたいになってしまうかもな。

人間の奇行は寂しさから。そんな気がする。

 

ちなみに帰宅したらトイレのつまりは直っていた。

ラバーカップ借りてきた意味ないやんけっ。

 

色んな事に翻弄された、そんな一日。