閉じられた本

今、書くのが楽しい。

些細なことを、拙い言葉で綴るだけ。でも、それが楽しい。

 

春にブログを開設した。十数年ぶりだ。

文章を書きたいというより、気持ちを吐き出したい。そんな動機だった。


SNSでは、自分のことを書くのが、とても場違いに思えた。

インスタに微妙な心情を投稿したことも、

twitterで匿名で、ひたすら愚痴をつぶやいた時期もあった。

でも、書いた後にいつもモヤモヤが残った。


久々にブログに戻り、何て居心地がいいんだろう、と思った。

 

SNSの公と、ブログの公は、性格が違うのだ。

両方使って、今さら腑に落ちた。

 

それぞれに長所があるが、自分自身のことを書くなら、

ブログの方が向いていると思う。

 

公ではない、私としての自分。

いや、公も私も、何もかもひっくるめた自分の目線。

 

いたって普通の一日の記録。よくある風景に一人でそっと感動したこと。

わざわざ言わなくていい、くだらない話。何となく覚えている、ちょっとした思い出。

悩んでいること。悲しかったこと。うれしかったこと。怒っていること。

 

他人にとってどうでもいい、一人の人間としてのあれやこれやを、気楽に書ける場所。

 

SNSは、常に人の目がある。明るい話はできても、悲しい話は書きづらい。

辛気臭いことを書いたら、自動的に他人のフィールドに流れていくのだから。

 

一方、ブログの中では、泣いても、笑っても、真顔でも、

たとえだらしなくても、つまらなくても、大丈夫に思える。

自分の言葉が、よそのお宅に勝手に侵入したり、芝生を荒らすことがない。

 

イメージとしては、図書館に並ぶ本。

誰でも読める公の場にあるけど、本は閉じられている。

興味のある人や、縁のある人が手に取り、そこではじめて物語に触れる。

面白くなければ、そっと閉じて棚に戻してくれる。

 

この距離感が、何かいい。

それぞれの王国が独立しつつ、共存する感じ。

 

書く人は、人目を気にせずに、自分の物語に集中できる。

ホラーを書きたかったら、好きなだけ恐ろしい物語を書く。

読みたい人がやってきて読む。ただそれだけ。

 

その人の目線でしか書けない、色んな物語がある。

色んな主張がある。色んな本がある。だから面白い。

"私"を感じるお話が、とても好きだ。

 

だからどうか、書きたいことを、書きたいように。

本は閉じられている。誰かが開くまでは。

 

= = = = =

 

補足。SNSに書くのは苦手だが、見るのは好きだ。

沢山の言葉に出会って、影響を受けた。情報収集にも、いいと思う。