そこに愛はあるんか

「暮らすって、物入りね。」

 

魔女の宅急便のキキが言っていた言葉を思い出す。

13歳で独り立ちした彼女。

ジブリの主人公って、しっかりしてる子ばっかりだ。

 

暮らすって、物入りね。

キキ、本当にそうだね。

 

どうにかこうにか暮らしているが、明るい未来を想像できず

自分が情けなくて、今日は何か涙が出て来た。

 

何が辛いって、試行錯誤が改善につながらないこと。

現状が大して変わらないまま、どんどん時間が過ぎていく。

そして年を取って来た両親のことを考えると、とても憂鬱だ。

 

 

先日親戚のおじに、父は元気かと尋ねられた。

今、父はがんで通院治療中なのだ。

 

ぼちぼちやっていることを伝えた。

治療内容を詳しく聞かれたが、細かく知らないので分かる範囲で伝えたところ

「もっとお父さんのこと、知ってあげてほしいなぁ…」と残念そうに言われた。

 

ご心配はありがたいが、ものすごくモヤモヤした。

なぜ私が親の病気の治療内容を全て把握しないといけないのか。

そんなに知りたいなら本人に聞けばいいのに。

 

また、別の男性(70代)とも父の話になった。

「身近な人が体調の異変に気づくのが大切。何かあったら

すぐ病院に行くよう言ってあげて。」という話をされた。

 

「世話してあげなさい」的なことを、関係ない人が言うのは何なんだろう。

 

今日涙が出たのは、この件がストレスだったのかもしれない。

 

自分のことさえままならない毎日の中、

周りから「人のことまで背負いなさい」という

無意識の期待や圧力を感じて、辛かったのかもしれない。

 

(なぜ私がケアすることになってるの…?)

 

女性は献身的な行動を期待されがちだ。

おじさんたちは、私が男でも同じ言葉を言っただろうか。

仮に言ったとして、どちらにしろ嫌な気分になるのだけれど。

(父を気遣う気持ちから出た言葉なのは、分かっているが。)

 

家族や夫婦は持ちつ持たれつ、運命共同体みたいな部分があるが

「してあげて当然」なんて期待には、嫌悪感しかない。

 

基本的に問題は、その人の問題だ。

もちろん色々な事情があるし、例外は沢山あるだろうけど。

 

もし助けが必要ならば、お願いする。もし頼られれば、出来ることをする。

または心から力になりたいと思ったときに声をかけたらいい。

それでいいんじゃないのだろうか。

 

そして、それぞれの家庭にそれぞれの関係性がある。

うちも色々と大変だったので、父に対しては複雑な思いだ。

温かい家庭像を押しつけられるのは苦しい。

 

やたらと世話をしたがったり、世話されることを期待する人たちは

依存を愛と思っているのではないかな。

もしくは犠牲的献身が愛だという刷り込みが強い。

 

某CMじゃないけど、そこに愛はあるんか?

本当に愛なんか、それは?

 

多分、違うと思うんだよな。

愛については、私もまだまだ分かっちゃいないけども。