何でもいいって言ったじゃん

「何でもいい」という言葉は信用ならない。

 

先日のこと。父が孫に尋ねたそうだ。

クリスマスプレゼント何がいい?何でも買ってあげるよ、と。

すると孫はLEGOをねだった。調べると¥27,000近くする。

予想を上回りすぎる価格に、さすがにちょっとこれは…と却下したそうだ。

 

…何でもいいって言ったじゃん。

 

職場のEさんは20代の頃、盲腸で入院した。

術後、看護師さんから「もう何でも食べていいですよ」と許可が下り

嬉々としてアイスを食べていた。

するとちょうど居合わせた看護師に、ものすごい剣幕で怒られた。

「Eさんっ!!アイスはいけませんっっ!!!」

 

…何でもいいって言ったじゃん。

 

 

「ご飯何にする?」「何でもいいよ。」

「じゃー、○○に行こうか。」「えー、○○は嫌。」

 

…何でもいいって言ったじゃん。 

 

↑過去の私です。今も時々あるかも…(懺悔)

 

 

 

人は何故、よくないのに「何でもいい」と言うのか。

「何でもいい」について本気出して考えてみた(こんなタイトルの歌あったな)

 

今回考えたのは、相手に希望を尋ねて「何でもいい」と返された場合。

 

「何でもいい」の真意 (私の勝手な妄想)

1. 本当に何でもいいと思っている

2. 何が欲しいか本人も分かっていない

3. 状況や相手への配慮で「何でもいい」と言っている

4. 考えたり決めるのが面倒くさい 

5. わがままだと思われたくなくて「何でもいい」と言っている

6. 相手に任せようとしている

7. 何も考えずに言っている

 

今思いつくのはこんなところだ。

あくまで勝手な推測であり、実際は本人にしか分からない。

(本人さえ分からない場合もある)

だが上記のパターンに当てはまることは、割と多いのではないだろうか。

 

 

「何でもいいよ」

 

一見、大らかで寛容な響きがするこの言葉。

意外と曲者かもしれない、と私は思っている。

柔らかな表現で、相手に面倒くさいことを押し付けてしまえるのだ。

例え、言った本人が無意識がだったとしても。(状況によるが)

 

いつも「何でもいい」しか言わない人と居ると

自然とこちらが動く機会が増えて疲れてしまう。

一緒に食事をする場所を決める時や、旅行のプランを決める時など。

 

”一緒ならどこでも楽しいし、何でもおいしい”

そんな「何でもいい」なら最高だけど。

 

言葉の後ろ側に何があるのか、深読みしすぎるのはよくない。

けど、言葉から相手の無意識を自然と感じてしまう時がある。

それが繰り返すしんどさであるなら、相手との関わり方を変えていいのかもしれない。

モヤモヤは何かのサインだから。

 

以上、勝手な妄想と偏見による「何でもいい」の考察でした。

 

考えすぎだよね。もう少し楽に生きたいものだわ。