自家製の物語

 昨日からゆっくりと日常に復帰した。

 

 喉はまだ万全ではないけど、もう大丈夫。太陽の光は一皮むけたかのように明るく、風邪をひく前よりも気持ちよくお腹が減る。体が何か一新された気分だ。まるでPCの(更新が完了しました)みたいに。

 

 回復してすっかりご機嫌かというと、そうでもない。心のデトックスも進行中らしい。忘れていた。春は別れの季節。そして排毒の季節。この際だから色々と手放して、心の方もきれいさっぱり身軽になりたい。

 

 今って、潮目が変わる時なのだろうか。多くの人が変化を迎えている気がする。環境の変化の場合もあれば、内面的な変化もあるだろう。私は後者だ。昨年の晩秋あたりから、徐々に移り変わっている。何故なのかは分からないが、今までと違う所に心を置く必要を感じている。

 

昨年の暮れごろ、フォローしていたアカウントが急に消えてしまった。Xもnoteも。その一般の人の言葉が大好きで、とても影響を受けた。でも今後、その言葉に触れることは出来ない。仕方ないと頭で分かっているが、自分でも意外なほど落ち込んだ。

 

 今年に入り、購読しているブログに、無期限の更新休止をほのめかすような記事が投稿された。その方の綴る言葉も素敵だと思っていたので、仕方ないとはいえ、やはり寂しかった。

 

 多くの人が切り替わりの時期であることを、ひしひしと感じた。

 

 大好きな言葉が続々と、目の前から消えたり、遠ざかっていく。何となく、自分の世界を生きるよう促されている気がした。

 

 人の世界に没入しすぎたのかもしれない。ずっと飽きずに水槽の魚に見とれる子供のように。そこから引き離されるということは、自分の言葉で自前の物語を作ること、そこに今まで以上に力を入れる時が来た、ということかもしれない。

 

 寒仕込みの手前味噌物語。ゆっくり発酵。お塩は天日塩で。