立春大吉

 日曜日の昼間から横になり、うつらうつらしている。いつもはうるさく感じる洗濯機や乾燥機の規則的な音が、不思議と心地いい。

 発熱。何年ぶりだろう。朝病院で検査したらコロナもインフルも陰性。36.7だった体温は38.3まで順調に上がっている。体の痛みも久しぶりだ。

 立春。そんなタイミングで風邪を引くなんて。幸先がいいかもしれない。変な話、ずっと風邪を引きたかったのだ。

 野口晴哉先生の著書「風邪の効用」を読み、風邪という体の反応は悪いものではないと知った。寧ろ全く熱を出さないような人が急に大病を患ったりするような事を書いてある。もう何年も熱を出していない私は、体が鈍っているのだろうかと不安になっていた。

 そんな訳で立春大吉。めでたいのだ。春が来たことも、一生懸命体が生きようとしていることも。

 明るいうちから布団に包まりゴロゴロしている。眠ってしまわないように意識は保ちながら、ぼんやりとすごす。

 一人だから不安になるかと思いきや、ふかふかのお布団のお陰か、何かに守られてるような気分だ。思考から離れ、ただ体を今に預けるというのは何て心地がいいんだろう。

 数日間は安心という繭の中でただただ休んでいよう。

つながり

「風の時代」

 

この言葉、どれくらい知られているんだろう。

私は占星術に興味があるから知っているけど。(意味は検索してみてください)

 

昨年の春からブログを始めて、10ヶ月ほどになる。

どうでもいい事ばかり書いてきたが、自分としてはいい息抜きになっている。

中には、恥ずかしくなって消した記事もあるが。←やらかしてばかり

 

暫くブログをやってみて、しみじみ思った。繋がりの時代なんだな、と。

特にここ、はてなブログは、ユーザー同士が繋がりを楽しんでいる雰囲気が強くある。

 

SNSが普及して久しいのに何を今さら…」と呆れられそうだが、

ブログという形態でも「繋がり」を楽しんでいるのが、私には意外だった。

 

「ブログ=個人的な日記」のようなイメージがあったからかもしれない。

文章を綴るというのは、静かで孤独でとても個人的な行為だと思っていたし

ブログでこんなにコミュニケーションが活発だなんて、思いもよらなかった。

 

十数年前にブログを書いていた頃、管理人と読者がやりとりできるのは

コメント欄くらいしかなかった。あとはメールくらいだろうか。

 

当時も私は情けないボヤキを綴っていたのだが、

時どきコメントをくれる稀有な読者の方が居た。私より少し年上の男性だった。

 

ハッキリとは覚えていないのだが、彼のサイトにアクセスすると

アイコンか何かが顔写真だったことと、女装が趣味のようなことを書いてあった。

 

正直、最初は少し驚いたけど

「へー、そんな方もいるんだな」位にしか思わなかった。

コメントをもらっては、返信していた。

言葉の印象から、優しく繊細そうな人だと感じた。

 

覚えているのは、私が「すべては一つである」という、仏教哲学だったり

精神世界で言われる事柄について書いたときのこと。(内容は忘れた)

彼はジンジャーマンクッキーの例を挙げながら、共感的なコメントをくれた。

 

クッキーの生地を伸ばして人型に抜いていく。

そうすると沢山の人間が出来る。けどそれは、もともとは一つにまとめた生地だった。

私たちは一見バラバラだけど、一つの同じ物から出来ているんだ、と。

確かそんな内容だった。

 

未だに「全ては一つ」を(体感的に)理解できない私だが

そのコメントはとても腑に落ちたし、今でも分かりやすいな、と思う。

 

一度頂いたコメントに対し、私が不快感を示した時も

彼は怒るどころか、申し訳なさそうなコメントをくれた。

当時の私はなぜあんなに感情的で幼稚だったんだろう。(今も未熟だけど…)

こちらの方が申し訳ない。

 

ブログを止めてから、繋がりは無くなってしまったけど

おそらく唯一の読者だったと思う。何だかとても懐かしい。

 

彼は世界のどこかで、元気に、幸せにしているだろうか。

ひどく繊細で柔らかな心を持っていそうな彼に、何かよりどころがあるだろうか。

 

以前、こんな記事を書きました。

heeja123.hatenablog.com

 

風の時代は、自分らしさを出して、気の合う人と繋がっていく時代。

マイペースに文章を書くために、はてなスターを非表示にしたけど

少しはオープンでいる事も大切かもしれない、と近ごろは思う。

 

リアルでも積極的に自分から話しかける方ではないけれど、

完全に閉ざしているのと、たとえ受け身でも

コミュニケーションを取れる状態にしておくことは、全然違うのかもしれない。

 

とはいえ、まだ怖い。

 

すぐに出来そうにはないが、心の準備が出来たら

はてなスターをそっと復活させようかと思っている。

 

(とか言いつつ、ずっと閉ざしているかもしれないが)

 

 

香ばしい朝

6分前にスタートしたはずのタイマーが、いつの間にか気絶していた。

 

慌てて火を止める。

 

「このタイミングで力尽きなくても…」

 

電池が切れる瞬間はこういうものかもしれない。

本人はまだ頑張れるつもりでも、急にパタッと動けなくなる。

 

うちには炊飯器がない。鍋でご飯を炊くようになって久しい。

1~2人分なら鍋でこと足りるし、美味しい。

今のところ保温も予約機能も必要ないので、特に不便はない。

洗いやすい点も好きである。

 

それで、今朝もご飯を炊いていたのだが…。

 

(焦げたかな?)

 

恐る恐る蓋を開け、さっくり混ぜて保存容器に移す。

少しおこげが出来た程度だ。あー、よかった。

 

空にしたお鍋にはご飯がこびりついていた。

でも、私は喜んでいた。

 

「これでおかいさんが作れる!」

 

”おかいさん”とは茶粥のことである。1人前食堂で知った。


www.youtube.com

(こちらの動画の冒頭に出てきます)

 

鍋で炊飯を始めたころ、いつもご飯がこびりついた。

 

鍋をしばらく水に浸け、ふやかして洗った。排水溝に溜まる残飯。

米粒が勿体なくて、炊き方を試行錯誤した。

今はご飯をきれいにさらえる炊き方を採用しているが、

お米がこびりつく炊き方の方が美味しかったりするので

少し悩ましいところであった。

 

そして、先ほどの動画と出会った。

お米が引っついた鍋に水を入れ、お粥を作るのだ。

「この発想はなかった!」と目から鱗。心の底から感謝した。

もうご飯がこびりついても大丈夫。お粥を作るいい機会になるだけだ。

 

そんな訳で、今朝嬉々として作った初めてのおかいさん。

香ばしい風味がした。それがほうじ茶のお陰なのか、

おこげの苦みなのかは、正直微妙なラインであった。

(思った以上に焦げてた?)

 

またお米が底にくっついたら、また茶粥に挑戦したいと思う。

 

次回は焦がさないように、タイマーの電池を買いに行かないとな。

 

無力ながら

能登半島地震から2週間以上経つ。

 

地震から数日後、インスタで桐本滉平さんのアカウントを知った。

輪島市漆芸家の方だ。ストーリーズで輪島市内の状況を発信している。

内容は同じく被災された方への情報共有だったり、ペットの保護活動の様子など様々だ。

 

全部に目を通している訳ではないけれど、

彼の発信を見ていて、やっぱりまずは初動の救援がすぐに届くことが肝心だと感じた。

 

当たり前なんだけど、自分に出来そうなこととして、

義援金の他に、災害直後にすぐ駆けつける活動をしている団体を

日ごろから支援するのもいいかもしれないと思った。

 

もう一つできそうなことは、こちらの募金。輪島塗業界復興のための支援。

漆と金継ぎの修復家、河井菜摘さんのポストで知った情報だ。

 

無力すぎる自分に出来そうなことは、微々たるものだが

知ることや共有や、ささやかな募金なら出来そう。

 

今日は阪神淡路大震災があった日だし

今の自分にほんの少しでも出来そうなことを書いてみた。

自分の家の備えも見直ししないとな。

 

旅行と体調

前回のブログを書いた翌日、無事復活。

復活と言うか、経過したという方がしっくりくる。

 

雨雲が通り過ぎるのを待つように、じっと雨宿り。

じきに辛い気持ちも徐々に遠ざかっていくものだ。

晴れたり曇ったり雨が降ったり。私たちの心もその繰り返し。

 

さて、この週末は大阪へ行って来た。とあるワークショップに参加するためだ。

いつもzoomで講座を受けている先生の、リアルの対面の授業。

なかなか無い機会なので勇気を出して行って来た。

 

始まるまで緊張したけど、授業がとても面白く、

先生や他の受講生さんたちと少しお話も出来た。行ってよかった。

 

遠出自体が久しぶりだった。都会に出たのも久しぶり。

電車に乗ったのは何年振りか分からない。

ちゃんと乗れるか心配したが、意外なほどスムーズに移動できた。

 

電車に揺られながら、何だかウキウキした。

そうだ、私は旅行や外出でリフレッシュするタイプだった、と思い出した。

帰ったら近場でいいからあちこち散策しよう、と思った。

 

ただ、旅行をすると食べ物に困る。おいしいものは沢山あるけど、

何でも好きなように食べていると、すぐ具合が悪くなる。

 

普段は精製糖質を控えたり、飲み物もノンカフェインにしてるが

そういったものを旅先で安定的に確保するのはなかなか難しい。

何を食べても元気な人がとても羨ましい。

 

行動や寝る時間や環境も変わるので、何かと心身が不安定になりがちだ。

今回の旅行では、お腹の調子が悪くなったり、早く寝たのに夜中に目が覚めたりした。

 

食べ物、規則正しい生活リズム、慣れ親しんだ環境が

心身の安定にどれだけ大事が思い知ったし、身体が弱いなと感じた。

仕方がない。上手く付き合っていこう。

 

かといって、いつも家に引きこもってると心が鬱屈してくる。

身体の調子に合わせて、ぼちぼちとお出かけを楽しみたい。

 

2024年のテーマ

今年のテーマは「素直」に決めた。

 

これは抱負とは違い、”こんな姿勢でいられたらいいな”という願望のようなもの。

この1年、心の隅に置いておきたい言葉だ。

 

ちなみに昨年は「適当」だった。

完璧主義を手放そう。もっと肩の力を抜いて気楽に行こう、という気持ちだった。

 

今年のテーマは簡単ではない。いつも考えすぎてしまうから。

 

例えば人に話しかけたいなら、ただ話しかければいいのに

「私なんかに話しかけられたら嫌かな」、「面白い話できないしな…」

そんな考えが浮かんで止めてしまう。(我ながら面倒な奴だ)

 

これまでの人間関係の中で培われてしまった哀しい習性。

傷つきたくなくて、自分を守ろうとする防護反応なのだ。

 

でももう純粋な欲求や好奇心を、最初から打ち消すのを止めたい。

もっと素直に心に沿って行動したい。とっても怖いことだけど。

他人の反応を気にしすぎないよう心掛けたい。

 

そんな訳で今年は「素直」。

 

抱負も考えたけど、大きな目標や決心は特になく…

デンタルフロスの習慣化、ですかね。(かわいすぎるサイズの目標)

 

ほうふ(抱負)って平仮名で書くと、ほうぷ(Hope)にちょっと似てる。

どっちも未来を向いてて明るい言葉だな。

 

今年は新しいご縁が色々とありそうな予感。

これはただの希望的観測なのか、直感なのか。年末に答え合わせしたい。

 

奏でたい音

今日はEminem

 

イライラしている時は、怒気の強い音楽がいい。

音に乗って、怒りが発散されていく感覚。

穏やかな曲はむしろ逆効果。自分の内的な音と

聴いてる音のエネルギーが違いすぎると、不協和音になる。

 

私たちはいつも無音の音を奏でながら生きているのだと思う。

エネルギーというか、感情というか。

 

今日は朝からイライラしていた。

職場の些細なやりとりが引き金で、急に怒りが噴出し

ものすごく感情的になってしまった。(本当に迷惑で恥ずかしい話だ。)

 

自分でも驚くほどの怒りだったが、どうしてか分からない。

呼吸を落ちつけて理由を探った。

体の問題じゃない。食べ物の問題じゃない。メンタルの不調でもない。

思い当たるのは、生き方の問題だ。

 

先日のブログで、自分は割と幸せであり、今の生活を愛したいと書いた。

それは本当だ。でも一方で、現状を変えたい気持ちもある。

 

「自分に合う生き方じゃない」と知りながら、抜け出せない焦り。

いつまでも変われない自分への怒り。

そういったストレスが、知らず知らずに溜まって爆発してるようだ(不定期に)

 

「平穏な暮らしをしてるのに、ワガママだ」と自分を咎めたくなったが

まずは本音を正直に認めることにした。

 

”恵まれてるけど、ここに居たくない。”

 

Grapevineの「From a small town」という作品がある。

「何も変わらなくたっていい このままで居られるよう」と歌う曲と

「ここに居たくねえ」と歌う曲が、一枚のアルバムに一緒に収録されている。

 

人間は矛盾した気持ちを一緒に抱く存在である。

そんな心の複雑さを教えてくれたアルバムだが

今感じているのは、それに似た葛藤かもしれない。

 

怒りの理由は少し分かったけど、じゃあどうしたらいいか。

 

本心と行動を出来るだけ一致させることだと思う。簡単ではないけど。

そして体を整えること。小さな積み重ねに尽きると思う。

 

少しずつ、少しずつ。繰り返し、繰り返し。

奏でたい音をイメージしながら。